薬膳の勉強をはじめたばかりのKYOです。
さてさて、前回書いた勉強法で、教科書を通読しているところです。
勉強法がわかってスッキリ!と前回書いたものの、やっぱり難しいのには変わりない〜!笑
始めたばかりということで、まだ「中国の歴史と薬膳」という、入門の入門あたりをウロウロしています。
薬膳って、中国の歴史や文化、哲学とともに発展してきた医学。
そこを学ばずしては語れない…ですよね。医学なのに哲学が関係してくるなんて、不思議な感じです。
Contents
学びのまとめ「薬膳のなりたち」
薬膳とは?
- 食材とは、口当たりがよくおいしいもの。
- 中薬とは、味はよくないが薬効があるもの。
- 食薬とは、中薬の中で、食材として使えるもの。
食材が持つ性質をとても重要視するのが、薬膳。食べる人に合わせて食材を上手に組み合わせた食事で、日々の元気を目指します。
薬膳の源流は?
そもそも、すべての食べものは、体に作用するなんらかのパワーを持っています。味や形が違うように、それぞれ独自の働きがあり、体に与える作用も異なります。
原始人類のころには「食べられるもの」「食べられないもの」の区別がなく、うっかり口にしたもので病気になったり、命を落とすことがありました。
長い年月の中で、人々は自らの体験を通して、食べものの作用や効能を少しずつ見つけていったのです。
食文化誕生のきっかけとなったのは「火」
火を使うようになったことは、人類の進化に大きな変化をもたらしました。食においても例外ではなく、それまでは動物の肉や植物を生食していたのが、火を通して食べるようになったことで、消化吸収が促進され、病気も減少しました。
火を使えば調理技術が発達します。食文化も誕生し、食材や中薬の使い方もそれまで以上に発展するようになっていったのです。
薬食同源の起源は古代王朝
「体のことを考えた食事で、健康を目指す」。この薬膳の考え方の起源は、中国の王朝・西周(BC1000年ごろ)にあるとされています。
書物「周礼」には当時の医療制度が記載されています。
- 食医(栄養医)
- 疾医(しつい・内科)
- 瘍医(ようい・外科)
- 獣医
医師の中でも4つの職が設置され、中でも食医は皇帝の食事を管理する職として最も重要視されていました。飲食のバランスをしっかりチェックすることで皇帝の健康を守り、病気の予防と治療を行なっていたのです。これこそ医食同源。
食がいかに大切にされていたかがわかります。
中医学の基礎となった「黄帝内経」
漢(紀元前200年ごろ)の時代に書かれた「黄帝内経(こうていだいけい)」は、中医学の理論体系を作り上げた、中医学の経典ともいえる本とされています。
特に、もっとも大切だと説かれているのは「バランスよく食べれば、健康でいられる」という食養生の考え方です。
「効果が強い薬は多くと使うと体を傷める。薬は適量使い、あとは食べものでゆっくりと病気を治す」など、食療を重視したことが書かれています。
中国最古の薬学書「神農本草経」
同じ漢の時代に書かれたとされる「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」は、中国最古の薬学のテキストとされています。
4000〜5000年前ごろの古代中国に、伝説上の人物(神)、神農がいました。神農はあらゆる食べものを口に入れてその味や効能、毒の有無を確かめたのです。何度も毒にあたり、その度に薬草や茶の力で蘇ったとか。その努力と発見のおかげで多くの民衆が救われ、神農は生薬学の祖とされています。
この本の中で薬用植物、動物、鉱物365種が「上品」「中品」「下品」の3つに分けられ、その効能がまとめられ、収録されています。
上品(上薬) | 日々の健康や長寿に役立ち、長期で服用でき、日常の食事に用いられる。 | ハトムギ、高麗人参、甘草、ナツメ、胡麻、枸杞、山薬(ヤマノイモ)など |
中品(中薬) | 滋養強壮や治療に役立つが、使い方によっては有害にもなる。 | 生姜、杏仁、葛根(クズ)など |
下品(下薬) | 治療には使えるが毒性があるので日常の食事には使えない。 | 附子(ブシ・トリカブト)、桃仁(トウニン)など |
ちなみに、「神農本草経」は神農がまとめたものではなく、その神農にあやかって名付けられた本。著者は不明だとか…
「薬膳」という言葉の起源は?
「食材や中薬を使って体によい食事を作る」という薬膳の考え方は古くから存在していました。では、薬膳という言葉自体が知られるようになったのはいつでしょうか。
一つ目の説
約2000年前に書かれた漢の時代の「後漢書」に、初めて薬膳という言葉が出てきます。ある母親を亡くした四人の兄弟が、新しい義母を嫌い、嫌がらせをしていた。しかしこの母親は愛情深く、あるとき長男が病気になった時に薬膳を作って食べさせたところ、病気が治り、兄弟たちは反省して立派になったという話。
薬膳という言葉が広まったのはこの話以降であるとされます。
もう一つの説
さきほどの説に出てくる後漢書の原文には「親調薬膳」と書かれています。これは「薬膳」ではなく、「薬」と「膳」は別々の意味だとされます。
子どもが病気の時に母親が自ら薬を煎じて膳(料理)を作ったと解釈されるようです。
実際に「薬膳」という言葉自体が広まったのは1980年代に「薬膳」と名のつく多数の本が出版されたのがきっかけとされています。
いずれにしても「薬食同源」や「食療」「食養」として古くから人々の食に根付いていたものが、現在「薬膳」として多くの人に知られるようになったと思われます。
薬膳の歴史を紐解くと、原始人類の時代にさかのぼるなんて!時代を経て積み重ねられてきた学問、奥深いです。